君へ 
 

 






 

 石造りの塔の窓から、一人の男が海を見ていた。
 いや、海と言うよりは船と言った方が正しいかもしれない。

 ただし、船と呼べる物は水平線にすら見あたらず、
 彼の心の中だけに存在しうる物だった。
 男は西風に吹かれながら瞬き一つしない。
 空と海の狭間を見つめ続けていた。

 
 「本当はあなたも彼と一緒に行きたかったのではないですか?」

 皮肉と共に、影から金の髪を持つエルフが進み出た。
 しかし、男は別段驚いた様子もなく、
 灰色の瞳をそらさないまま口を動かした。

 「彼が望んだことだ。
  私が国を統べ、民を守り、自分以外の誰かを愛し幸せになれと」

 レゴラスは整った顔立ちに似合わないほど眉間に皺を寄せ、
   彼の真隣に立った。

 「だったら見送りにぐらい行ってもよかったのでは?
 執務が立て込んでいることは分かりますが、
 フロドだって望んでなかったはずがないでしょう」

 自然と責めるような口調になったレゴラスに苦笑し、
 アラゴルンはやっと視線を海からそらす。

 「君も分かっているだろう?
  一目見たらきっと、さらって逃げたくなる衝動が抑えきれない」
 「…まぁ、それも、分かっていましたけどね」

 呆れたようにレゴラスはため息をつき今度は自分から海を見た。

 
 「貴方達二人は本当に自虐的ですね」
 「はは、そう見えるか」
 「見えますよ。
  自分たちの幸せは望まずに他人の幸せの方が大事だなんて」

 エルフなら考えられないことだとレゴラスが一人でごちる。

 「それは違う、レゴラス」

 それまでとは異なる口調にそらしていた視線を再びアラゴルンに戻す。
 男は海を見ながら、笑っていた。

 
 あの時の笑顔だと思う。

 彼を守っていたとき、あの二人が幸せだったとき。

 「人を傷つけてまで得る幸せなど本当の幸せではない」

 ああ、全く。

 レゴラスの脳裏に小さい人の笑顔が浮かぶ。

 ああ、全く。この二人はどうしてこんな道しか選べないのだろう。

 お互いの幸せを願って、願って、願って……。
 自分が傷つく道しか。

 



 「君こそ彼と一緒に行きたかったんじゃないか。
  中つ国に残っているエルフはもう数えるほどだろう?」
 「ギムリとの約束が残っていますからね。
  一段落したら僕も行きます。多分、彼も一緒に…」
 「そうか、旅の仲間は私の周りからいなくなってしまうな」

 どこか寂しそうな笑顔に傾きかけた日が落ちて影をつくった。

 「いえ」

 レゴラスは視線だけでなく体ごと男に向いた。
 突然の動作にアラゴルンが片眉を上げる。
 しかし、そんなことなど気にせずにレゴラスは口を開いた。

 「彼から頼まれました。
  貴方が王でいる間、貴方の側で
    貴方を助ける存在になって欲しいと」

 灰色の瞳がそれと分かるほどにみはられ、
  アラゴルンは慌てたように口火を切った。

 「レゴラス、それは!」
 「彼から頼まれたのです!!」

 しかしそれは直ぐに遮られる。
 握りしめられた拳が震えていた。

 「貴方が王でいる期間など僕にとっては一瞬と等しい!!
  ましてや、彼だって今は不死を手に入れた!!
  貴方だけ…!貴方だけです!!
  期限のある道を選んだのは。
  何時か誰の手にも届かぬ場所に行く運命を選んだのは!!
  だから僕は彼の代わりに…フロドの代わりに貴方を見守ります。
  貴方が旅立つ、その日が来るまで……」

 レゴラスは震えた吐息を一つ吐き出しアラゴルンを見た。
 彼は考え込んだときの癖で沈黙し、瞳は何も捉えてはいなかった。

 今の季節には珍しい西風が窓から入ってくる。
 彼の乗った船にとっては向かい風。
  大丈夫だろうかと心配になり、レゴラスは西へ思いを馳せた。

 
 「君も、損な役だな…」

 ぽつりとアラゴルンがもらす。

 「慣れました」

 少しむくれて言ったが、気づかなかったようにアラゴルンが笑った。
 
 レゴラスも今回ばかりは頬を少しゆるめる。

 
 「レゴラス」
 「はい?」
 「私の頼みも、聞いてくれないか?」

 

 




  ***

 

 



  「レゴラス様ー!!島が見えましたー!!!」


 無意識に目を開けたとたん、体が大きく左に傾いだ。

 どうやら椅子に座って本を読んでいる間に寝てしまったらしい。
 手に持っていたはずの本が床に落ちている。

 「全く…。
    死んでからも僕のことを信用していないようですね…」

 もちろんあの人のせいでないことなど分かりきっているのだけれど、
 あの日の夢をよりによって今日見るなど…できすぎている。

 「…ちゃんと覚えていますよ」

 一人呟きながら本に手を伸ばした途端、
  ノックもなしに木戸が開いた。
 視線だけ上げて

 「ギムリ、何度言ったらノックをしてくれるようになるんですか?」

 不平を言うと、聞こえてきたのは余り覇気のない声。

 「…まだ船酔い治ってないんですか?しっかりしてくださいよ」
 「そんなこと…言われてもだな…うっ…」

 その様子にレゴラスはため息をつき、首を振った。

 「ほら、甲板に出て少し風にあたりましょう。
  島も…見えてきたみたいですし」




 
 遙か西に見える小さな影。

 小さい頃から毎日のように聞かされて育った。
 いつか行きたいと願っていたはずだ。

 なのに…こんな不条理な気持ちになってしまうのは
 やはり貴方がここにいれば、と僕が心の奥の底の底の底で
  ほんの少しだけそう思っているからですか。
 それとも貴方から恋敵への最後の呪いですか。

 
 「なんだ、まだ豆粒ほどの大きさではないか。
  せっかちな見張り番だな」

 いつも通りとはいかないが、さっきよりはマシな声でギムリが喋った。

 「僕が頼んだんです。
  蚤の子ほどでも見えたら真っ先に教えてくれと。遅すぎるくらいですよ」
 「ほぉ。決心はついたようだな」
 「なんのことですか」

 視線を下に向けてジロリと友人をにらみつける。
 しかし、もう慣れてしまったのかギムリは言葉を続けた。

 「本当は中つ国に残って
     アラゴルンの子孫を見守り続けるか迷っていたのだろう?
  最後まで準備をぐずぐずしおって」

 甲板に誘ったことを少し後悔しながら

 「…そんなことはありませんよ」

 遅すぎる弁解をした。

 「痛いっ!レゴラス、髭を引っ張るな!!」

 



 船の舳先へ向かいながら遠い昔を思う。

 彼との約束がなければ、僕はここにいなかっただろうかと考えて、
 百年前の会話がよみがえった。

 思わず一人で苦笑する。

 他人の幸せよりも自分の幸せを優先すると言ったのは
  他ならぬ自分ではないか。
 どうやらあの男の側にいすぎるあまり似てしまったらしい。

 
 だとしたら僕の選択は間違っていた?

 
 ……いや

 
 そっと左胸の上に触れる。

 長方形の白い封筒。
 
 宛名は西の彼へ。
 差出人は、今は亡き偉大な王。

 結局誰よりも彼らの幸せを願っていたのは自分ではないのか。
 とんだ道化師だ。
 しかし…。




 
 前を見据えると友人の言葉を借りれば豆粒ほどだった島の影が
  握り拳ぐらいになっていた。

 思わず自分の拳をそれに重ねる。

 



 貴方方二人の幸せが叶わなくなった今、
  僕は今度こそ自分の幸せを願いますから。

 にっこりと笑いながら誰にでもなく宣戦布告をした。

 

 


  end.



 
 

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