「あの人の夢を、みたんだ」 サムは目を見開いてベッドに横たわる自分の主人を見た。 その頬には涙が流れるままになっている。 「おかしいね、彼の夢なんてここに来てから一度も見てなかったというのに……」 フロドの瞳は自分を映していなかった。 サムがどんなに見つめても、その瞳がこちらに向くことはなかった。 「まるであの人がここに来たかと思うほど、リアルな夢だったんだ」 貴方の目が私を見ることはない。 一番遠くて一番近い 「フロドが?」 「…はい」 手に持ったシャベルをそのまま地面へと突き刺す。 養分を含んだ土は面白いほど簡単に掘れた。 そこに植えるのはフロドが好きなムスカリの苗だ。 青い葡萄のような形をした花が緑のすっきりとした茎の先で揺れていた。 本当ならば客人の前でそんなことをしていること自体無礼にあたるのだが、 その客人レゴラスはさして気にとめた様子はなく、 フロドへの手土産になるはずだった赤い林檎をつまらなそうに手の中で転がした。 「フロド様はここ最近、体調のよろしい日の方が珍しくて、 でも、今日は……」 「朝食は完食。食後は散歩をしに森へ」 昨日の嵐が嘘のような空に、高く赤い林檎が跳ね上がる。 「喜ばしいことじゃないか」 そして元通り小気味よい音と共にレゴラスの右手へと収まった。 「勿論です! フロド様がお元気になられるなら私はここから中つ国まで泳いでも構わないです!! ただ……」 『 あの人の夢を見た 』 「…私は最初、レゴラス様とギムリ様がいらして、 フロド様も大層お喜びでしたから、だから体調がよくなったと…」 数日前の朝の笑顔を思い出す。 幸せに包まれた微笑み。 今にも彼が風に連れ去られて天へと昇ってしまうのではないかと思った。 いや、風と言うよりも…。 「あのような優しい、幸せそうなお顔は久しぶりに見ました」 『 まるであの人がここに来たかと思うほど 』 「あの旅の時以来です。 フロド様が馳夫の側にいた時のような笑顔でした…」 それはとても神聖な光景に見えた。 昔も、そして数日前の朝も。 そして自分はとても場違いな人間に思えてしまった。 「…僕がこちらに来た最初の日にね、フロドと二人で話したことがあったろう?」 また、林檎が放り投げられる。サムはそれを目だけで追った。 「僕は言ったんだ。早く忘れてしまいなさい、と。 当然だろう?あの男はもういなくなってしまったんだから。 でも……」 『それはできません』 『だって、あの人は最後まで僕のことを思っていてくれたから。 だから僕も……』 「あの人を最期まで思っていたい、だって」 レゴラスは林檎を一層高く放り投げた。 その林檎よりも更にずっとずっと向こう一羽の鳥が翼を広げて悠々と空を飛んでいた。 「しょうがないよ」 軌道をそれた林檎をレゴラスは少し腕を伸ばして掴む。 いい音がした。 「あの二人は馬鹿みたいにお互いのことを信じていたから」 そんなこと、 言われなくても分かっていた。 主人は確かにこちらに来てから男の事を一言だって口にしなかったけれど、 見慣れた花が咲いたとき、風花が宙に舞ったとき、東風が吹いたとき。 ふとした瞬間彼の瞳は無意識にずっと遠くを見つめる。 いもしない彼を見つけようとする。 彼のことを忘れたことなど一度たりとてなかっただろう。 彼があの男をどんなに深く愛しているか、一番側にいる自分だからこそ分かりすぎるくらい分かってしまうのだ。 「まぁ、でも」 綺麗に放物線を描いて自分の目の前へと落ちてきた物体を反射的に手にとる。 自分の掌には少し大きい真っ赤な林檎が太陽の光を反射して光った。 「僕は諦めないけどね」 そう言ってレゴラスはもうすっかり見慣れてしまった不敵な笑みを顔中に広げたのだった。 「レゴラス?来てたんですか?」 「あ、フロ……」 「おやフロド!!お帰りなさい、久しぶりの散歩はどうでしたか?」 海へと続く小道から現れた主人にかけた自分の声は 朗々としたエルフの声にすっかりかき消され、サムは固まるしかなかった。 でも、まぁ、しょうがないかと思う。 今日は林檎をもらってしまったから。 そう無理矢理自分の中で割り切って恨めしげに手中の林檎をみつめる。 「おいしそうな林檎だね」 肩越しにそう話しかけられてサムは思わず飛び上がった。 フロドが微笑みながら自分を見ていた。 「あ、え…ええ、レゴラス様から、たくさん頂いて…」 「それじゃあ早速みんなで食べようか。ね?」 サムは心臓を落ち着けることが出来てやっとその笑顔に笑顔を返せた。 「はい」 レゴラスが戸口の前で首を伸ばして待っている。 この林檎はきっと最後の林檎だろう。春が来る。 林檎を少しもらってジャムでも作ろうか。 それともアップルパイでも作れば彼は喜んでくれるだろうか。 そんなことをつらつらと考えながらサムはフロドの後へと続いた。 ふと思い出して、言う。 「フロド様、お帰りなさいませ」 主は一瞬不意をつかれたような表情をしたがすぐに笑った。 「ただいま、サム」 このポジジョンだけはきっともう誰にも譲れない。 幽霊となった馳夫でも、史上最強のエルフでも。 私はここで貴方を見つめ続けましょう。 貴方がどこを向いていても、誰を愛していても、 一瞬でも良いから、貴方が僕の存在を認めて笑いかけてくれればそれだけで私は幸せなのです。 私は貴方を愛し続けることが出来るのです。 end. next→幸せな結末