止まっていた時計が、その命を吹き返す。 秒針の音が不必要に大きく耳朶を叩いた。 ――――――――――――ignition 「親父がスペインに行くんだ」 寒い日で、その言葉と一緒に吐き出された吐息はすぐに白く固まった。 「俺もそれに便乗しようと思う」 まだ五時だというのに辺りはすっかり夜の支配下。 きれかけた電灯がチカチカ点滅して、一歩前を行く男の背中を照らした。 「世界で俺の力を試すチャンスなんだ」 判ってる。判ってるよ。わざわざ言わなくたって、アンタの心なんか透き通って見える。 期待に胸がふくらんでいるのも、もう真っ直ぐ走っていく決心がついているのも。 大丈夫。引き止めたりなんかしない。当たり前だ。 「・・・桜には、間に合わないかもしれねぇ」 そんな風流心なんか持ち合わせてないクセに。 桜なんてアンタの目に映らない。それ程速く走っていくのだから。 周りの景色に気をとられる暇なんて、アンタは持ってない。 俺は大丈夫。また元に戻るだけ。 武蔵野森に入学する前に戻るだけ。 大丈夫。いつかこんな日が来ること、解ってた。 「今まで、ありがとな」 それ程遠く離れてまで今の関係を続ける自信は俺にもないよ。 アンタもまたしかり。 触れ合える距離に居てからこその関係だったよね。 手紙や電話で満足できるほど、俺達はアイシアッテいない。 「楽しかった」 「三上先輩、スペインに行くんだって」 マフラーをはずしながら何気なくそう声をかけると、藤代は目を見開いて、持っていたスプーンを落とした。 右口端に彼が食べているプリン・ア・ラモードのクリームが付いている。 「はぁ?どういうことだよ?」 「誠二、右にクリーム付いてる」 小さい炬燵にもぐり込むと足を伸ばしていた藤代とぶつかった。 二人ともほぼ無意識に互いの足を避けた。 「先輩のお父さん、貿易関係の会社の社長やってんだって。そんでスペインに本社移すらしいよ」 「それについてくってこと?」 「うん。利用するって言ってたけど」 「利用?」 「こっちに残ってもいいって言われたけど、サッカーの為についてくって」 「あっちでサッカーの勉強するってこと?」 「じゃないの」 「言葉は?」 「さぁ。大丈夫じゃない?スペイン語って日本語に発音が似てるって聞いたことあるし」 「竹巳は?」 炬燵の上に転がっていた蜜柑に伸ばしかけた手を止めて笠井は藤代を見る。 クリームがまだ付いたままで滑稽な顔をしていた。 「それでいいのかよ?」 途中で止まっていた動作を続行する。 蜜柑を掴む。皮をむく。白い筋が手に付いた。 「・・・いいもなにも」 二の句が継げずに、一房口に入れた。 感じていたよりも口内が渇いていたようで、はじけた果汁がここちよい。 そのまま黙っている笠井に痺れを切らしたのか藤代が口を開いた。 「キャプテンとか、知ってんの?」 「さぁ。でも同室なんだから」 相談。するだろうか。あの男が。 笠井にも計り知れない。 「いつ」 藤代が不機嫌そうに言う。笠井は答えなかった。 「いつだよ」 藤代は重ねて言う。 藤代が熱くなればなるほど、冷めていく自分を笠井は自覚する。 「卒業式の一週間前だって」 「は!?」 藤代が少し腰を浮かして、また座った。 「もう一ヶ月もねぇじゃん。分かってんのか?竹巳」 「分かってるよ」 「もう一度先輩と話した方が良いって。お前が引き止めれば先輩も、」 「何を勘違いしてるのか知らないけど、誠二」 笠井の語尾が少し強まる。 「俺は引き止めるつもりはないよ」 「なんで、何でこんな時まで意地張ってんだ!?」 「意地じゃない。俺の意志だ」 「タク・・・・」 藤代の声は、ドアを叩く音で遮られた。 それでも藤代と笠井は一瞬空中で視線をぶつけたが、諦めたように藤代が立ち上がる。 「誰ですか」 むっつりとした声を隠そうともせず藤代がドアを開ける。 固まる背中が笠井からも見えた。 そして来訪者の姿も。 徐々に遠くなる談話室の声を笠井はぼんやりと聞いていた。 廊下でさえも寒い。 この男の背中を見る時はいつもそうだ。 震えるほど、寒い。 口論の真っ最中に現れた来訪者は、三上だった。 しかも、中身は分からないが紙袋を携えて。 呆けた笠井は三上に促されるままその背中を追うことになった。そして現在に至る。 談話室のある最上階の廊下も通り過ぎ、残すは屋上へと続く階段だけだった。 もし屋上で話す気ならばその時は即刻で帰ろう。笠井は心中で決心した。 昼間は洗濯物を干したり、バトミントンをしたりと、冬もなかなか使用者が多い屋上だが、 夜に訪れる者は滅多にいない。 その屋上に出る扉寸前で三上は止まった。 振り返る。 そして、笑った。 「笠井、ジェンガやろうぜ」 笠井は我が耳を疑う。 そうこうする間にも、三上は、笠井がずっと気になっていた紙袋からジェンガの箱を取り出す。 箱の中からはパッケージに印刷されてあるのと同じ、木製のブロックを積み重ねて出来た塔が現れた。 「ちょ、ちょっと待ってください」 「あ、ルールなら俺もよくしらねぇから」 「そういことではなく」 「これ?中西から借りた」 「いえ、なんでいきなりジェンガなんですか」 三上はピタリと動きを止めて笠井の視線を捕らえる。 「俺が勝ったら、お前俺の言うこと何でも聞け」 「賭けってことですか」 「そうだ」 「俺が勝ったら、何してくれるんです?」 「何でも言うこと聞いてやるよ」 ここで退きたくはない。笠井はそう思う。 そして、頷いた。 腰掛けると埃っぽい階段は予想より冷たかった。 末端の感覚が薄れていくのが分かる。 「最初はグーな」 「ええ」 三上の声にあわせて笠井は拳を振った。 あいこが二回続いたあと、勝ったのは笠井だった。 「どうぞ」 余裕綽々に三上が言う。 笠井は苛つきつつ、ブロックに手を伸ばした。 要はバランスだ。 崩すな。 動揺してもいけない。 ブロックを引き抜いた。 屋上の扉には、ガラスがはまっていた。 そして一等星ぐらいなら、笠井や三上の座っている位置からも見ることが出来た。 ゲームを始めた時には、オリオン座のリゲルが見えていたのに、それがもう隠れてしまったことに笠井は気付く。 塔は最早どんな衝撃にも耐えられないと思った。 子どもの吐息にすら勝てなさそうだ。 三上が慎重にブロックを押し出すのを見る。 そこは笠井も狙っていたところだったので、正直やられたと思った。 ズズ、という木がこすれる微かな音も二人の耳に届いた。 また塔は一つ礎を失った。 もうこれ以上は無理かのように見えた。 アンバランスで空虚な塔は、あとは倒れるのを待つばかりだ。 でもどうしても負けたくなかった。 三上の要求がどんなものかは分からないが、ここで負けを認めてしまえば一生後悔すると思った。 と、その時。 ある一角が笠井の目に映った。 ここを抜いて崩れないという保証はない。 しかし、 笠井は決意して指を伸ばす。 ブロックが動いた。 笠井の手に握られた木片を見て、三上はため息をついた。 「分かった、俺の負けだ」 そう言うと塔の真ん中を一突きする。 塔はあっさりとその場に崩れた。 笠井はもう既に自分のモノでないような手を握る。 「何を、言うつもりだったんですか」 ほぼ無意識の疑問だった。 三上は笑う。 「泣けっつーつもりだった」 笠井が怪訝そうに眉を寄せると、自嘲気味に笑う。 「お前の泣き顔見たことなかったから、最後に見ておこうかと思って」 「そんなの、俺だって先輩の泣き顔見たことありませんよ」 「じゃあ泣いてやろうか」 笠井は黙る。 「勝ったのはお前だ。約束通り、何でも聞いてやるよ」 ぎゅうと自分の手を握る。少し伸ばしぎみの爪が手の平に食い込んだ。 寒い。 「俺は、」 三上の目を見る。 「俺の願いは」 途端、強引に前へと引き寄せられて、思わず塔の残骸の上に左手を付いた。 角とこすれてガリ、と皮膚が剥ける。 冷たい手に首筋を覆われた。 唇に異物の感触。 それまで普通についていた電気が、何の呪いか一瞬点滅した。 否、錯覚だったのかもしれないが。 腕を張って押しのける。 「離せ・・・ッ」 「それが、お前の願い?」 耳元で言われて、頭に血が上った。 渾身の力を込めて三上の体を突き飛ばす。 「二度と俺に近寄るな!!」 反動で背中に壁が当たった。目の前の男は平然とした顔をしている。 それがもう憎くてたまらなかった。 「分かった」 男はそう言うと、紙袋にジェンガの木片を適当に放り込み、一人で階段を下っていった。 息を吐き出して壁にもたれ掛かった笠井の目線の先に、拾われ損ねたジェンガの欠片が寂し気に佇んでいた。 それから3週間後。 卒業式まで待ったらどうだという渋沢の説得虚しく、三上は予定通り、松葉寮を離れることになった。 出立の時刻はまだ日が昇りきらない早朝だった。 白み始めてきた空を背に、大きなスポーツバック一つを三上が肩にかける。 「朝早くで悪かったな」 「随分謙虚なことを言うじゃないか」 と笑ったのは渋沢だった。 同調して、中西が言う。 「卒業証書はちゃんと送ってやるから安心しろよ」 いらねぇよ、と三上が言うのを解っているのだ。 隣の根岸は、驚いたことに少し涙目だった。 「・・・じゃな、三上」 感動の別れ、と思いきやその場の空気を一掃する大きなくしゃみが朝の空気に響いた。 くしゃみの主は、藤代だった。 昨日の夜から少し風邪気味なのだ。大きなマスクをしている。 「う゛ぁ〜、笠井ぃ。悪いけど、コンビニでマスク買ってきてくれない?」 鼻水ついた。と藤代はマスクを顔から引きはがした。 藤代に無理矢理連れてこられた笠井はその発言に大層驚いた。 「は!?換えあるだろ?」 「えー、ないよ」 「いや、あるって」 「絶対ない。あ、あとのど飴買ってきてくれると嬉しい。 ほら、俺が風邪引くといつも舐めてるヤツ。お前にしか分かんないだろ。はい財布」 藤代は強引に財布を笠井の胸に押しつけた。 「ちょうどいい。三上が寄り道しないように、笠井見送り頼むぞ」 「・・・キャプテン」 笠井は途方に暮れたような声でそう言ったが、誰の耳にも届かなかったようだ。 「初めてのお使いかよ」 三上は厭そうに眉をしかめる。 「同じようなものだろう」 さらりと渋沢が言い放った。 「またな〜!!三上、元気でなー!!!!」 根岸と中西の大声を背にして、必要以上に距離をとった三上と笠井は歩き始めた。 二つの影が少し遠くなり、見送りメンバーが寒さに震えつつ足早に寮に戻る中、 中西は入り口近くで藤代に近寄り耳元に口を寄せた。 「昨日のマスクの差し入れはそういう意味だったわけ」 昨日の夜、中西の部屋に卒業祝いと称して、マスクを束にして藤代が持ってきたのだった。 「いやぁ」 藤代は鼻をすすりながら、にやりと笑った。 「ま、旅立つ先輩へ後輩からのささやかな餞別だと思ってくださいよ」 中西はこいつも餞別なんていう言葉を知っているのか、と少し感心したが、口には出さなかった。 松葉寮から一番近いコンビニも、バス停も途中まで同方向にあった。 勿論それも(驚くべきことに)藤代の計算内だったのだが。 春になればその通りは桜並木の名所とされるほど薄紅に染まるのだが、 今は冬枯れた木が両側にそびえるだけで見る影もない。 三上の後ろを笠井は歩いていた。 どうしていつもこういう配置になってしまうのかと笠井は頭を悩ませた。 今日も、3週間前の夜に比べれば幾分かマシだったが、充分寒い朝だった。 よくよく見ると、桜の枝に堅いつぼみが付いているのが分かった。 何気なく三上にそれを報告しようかと思って、止めた。 あれから3週間、二人は一度も話さなかった。 勿論それは三上が「二度と俺に近寄るな」という笠井の命令を忠実に守っていると言うことになる。 こうなると、絶対的に非があるのは笠井だった。 あんなことをされて、怒りが冷めたわけではないがこのまま別れるのはどうにも忍びなかった。 そのまま黙々と進んでいく。 分岐点が見えた。 バス停に行くには、このまま並木道を真っ直ぐ コンビニに行くには、左に曲がらなければならない。 突如、前を行く三上が足を止めた。 それにつられるように笠井も立ち止まる。 「この間は、悪かった」 三上は振り返らないでそう言った。 大分、いやかなり笠井は驚いたがすぐに自分も口を開いた。 「いえ、俺も言い過ぎました」 三上が振り返る。 相変わらず、無表情だった。 「もっと怒ってっかと思った」 「ええ怒ってますよ。表に出していないだけで」 笠井のいつも通りの口調に三上は苦笑する。 「本当はな、俺が勝ったら別のこと頼むつもりだった」 「え、」 「俺がスペインに行くって言った時、お前がどう思ったか聞きたかったんだ」 ザァッと二人の間を風が通り抜けた。 言葉が紡げない笠井の沈黙を、別の意味ととったのか三上は話題を変えた。 「お前は曲がるんだろ?」 三上は顎で左に入る小道を指す。 「先輩は真っ直ぐですね」 今更確認する必要性もないことをなぜ自分は口にしているのだろうか。 笠井の思考回路はエラーを示す。 理路整然とした考えが出来なかった。 「・・じゃあな」 片手を申し訳程度に上げて、三上はぎこちなく歩き出した。 背中を見る。 その背を初めて見たのはいつだっただろうか。 風が、耳元で鳴る。 男の足はよどみなく動く。 一歩二歩三歩・・・・・・・・。 何を、待ってるんだ、俺は。 笠井はやっと自分の状況を把握して、声帯から声を絞り出した。 「先輩!」 歩みが止まる。 自分が今どんな顔をしているのか、笠井はとても気になった。 泣きそうな顔じゃなければいいと思う。 それだけはごめんだった。 三上はまた、ゆっくりと振り返る。 きっと、笠井の為に振り返るのはこれが最後になるだろう。 「俺、引き止めようとは思いませんでした」 それは、先程の疑問に対する笠井の答えだった。 偽りも嘘もない、心からの。 「先輩には世界でやっていける実力があると思います。日本でなんか終わって欲しくない。 だから、だから俺・・・正直、嬉しかったんです。先輩が、スペインに行くって聞いて。 振り返らずに、走ってってください。それが、先輩には似合ってます」 笠井が言い終わるか終わらないかのうちに、三上が短い距離を駆け抜けた。 驚いて固まっている笠井の手首が冷たい手に持ち上げられる。 骨っぽい三上の手だった。 そのまま数秒間、沈黙があった。 笠井は何かを三上に尋ねたかったが、何を言えばいいのか分からなかった。 強く握りしめられたままの右手首。行き場をなくした血が指先でうごめく。 「笠井」 久しぶりに至近距離で聞く三上の声。 「お前は信じねぇかもしんねぇけど、」 三上が息を呑む。 そんな些細な動作までダイレクトに伝わってきた。 「俺は本気でお前が・・・!!」 三上はそこで言葉を切った。 無表情な彼にしては珍しく、眉間が苦しげに歪められている。 今が桜の時期だったらよかったのにと笠井は思った。 桜が咲いていれば、花びらが二人の間を遮って、この表情を隠してくれるかもしれない。 ぎりと一層強く手首が締め上げられる。 笠井は何も言わないで三上の顔を見た。 彼の瞳に浮かんでいる感情の名前を笠井は知らない。 ああ、この人はこんな表情をする人だったのかと、ざわりと胸が疼いた。 そのまま沈黙が流れる。 三上は口を開きかけたが、とどめて視線を下にさげた。 笠井から三上の表情は見えなくなる。 握られた手首だけが、彼との接点だった。 見下ろしてみれば、三上の手の甲に骨が白く浮かび上がっていた。 「・・・悪かった」 一瞬三上がなんて言ったのか理解出来なかった。 え、と口に出す前にやっと脳に言葉が浸透して、言葉を押しとどめる。 同時に、笠井の手首が解放された。血が巡る。 外気に突然晒された手首はすうっと寒かった。 二人の間に隙間が出来る。 三上は顔を上げ、笠井の視線を捉えた。 そして、掠めるようなキスをした。 それでも笠井は呆然として三上の顔を見ていた。 動けない。声も、出せない。 何か伝えなければいけないことがあるはずなのに。 何かしなければならないことがあったはずなのに。 唇を離すと三上は少し、笑った。 「頑張れよ、笠井」 何を、と笠井が口を開く一瞬前に、三上は笠井に背を向けた。 目の前を遮る障害物がなくなって笠井の周りは空虚になる。 三上は、淀みなく、しっかりとした足取りで歩いていた。 今度はもう、振り返らないだろう。 真っ直ぐ走っていくのだろう。 すぐに自分の視界から消えてしまう。 笠井は無意識に薄ら寒い手首を自分で握った。 違う、こんなんじゃなかった。 今度はもっと強く握る。 違う、違う違う違う違う。 もっと暖かかった。もっと強かった。 俺は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 視線を上げて、その背中を見送ることは出来なかった。 自分のスニーカーの先を凝視する。 まだ、見えるだろうか。 それとももう、見えないだろうか。 どうして俺は。 うつむいたままの視界の端で、東の空が、赤く染まり始めている。 俺は・・・・・・・・・・、 暫くしてやっと上げた視線は何も捕らえず、青い身を翻す空に流れた。 一ヶ月後、スペイン。 三上が寝癖も直さずにリビングへ向かうと、掃除機を止めて家政婦がにっこりと笑い迎えた。 「カミ、キテル」 日本語が少し出来ると言うことで採用された彼女だったが、ほとんどは意味不明な単語の羅列だった。 とにかく指さす方を見てみれば、郵便物が重しを載せられ中庭のテーブルに置いてあった。 再び轟音を立て始めた掃除機に追い出されるように三上は中庭へと向かう。 庭では家政婦の旦那が大きな鋏で剪定をしていた。 ほとんどがスペイン語で書かれた宛名の中に、一つだけ英語で書かれた物があった。 差出人を見れば、ただ「Japan」と明記されている。 これならば書かない方がマシだな、と心中で軽口を叩いた。 意識してそうしなければ、どうにかなってしまいそうだったのだ。 差出人が書かれていない手紙。 何度検索しても、三上の頭脳は一人の人物を弾き出す。 ドクリと体中の血が波打った。 封筒に手を掛け、端を摘む。 躊躇を振り払うように、一気に破いた。 瞬間、急な強風が吹いて、三上の手から封筒がもぎ取られた。 半分ほど開いた口から零れ落ちたのは、 「・・・は?」 三上は呆然とその光景を見つめる。 封筒の口から勢いよく溢れたのは、茶色に枯れた花だった。 花びらは風にのって舞い散り、回収は困難だと脳が冷静に判断を下した。 のろのろと爪先に落ちた封筒を拾って中を見てみても、 2、3枚の花びらが落ちそびれて残っているだけで、メモ切れ一枚入っていなかった。 その2、3枚を手に取り出して三上が眺めていると、ふと影が落ちた。 視線を上げれば、庭仕事をしていた男が立っている。 「Is this a good news?」 寡黙な彼が三上に向かって口を利いたのはそれが初めてだった。 二つの意味で少々驚きながらも三上は 「・・・Yes.」 と辛うじて答えた。 男は微笑んで剪定ばさみを手に持ち家の中へと入っていく。 窓が閉まる瞬間聞こえた彼の声は勿論スペイン語で、三上には聞き取れなかった。 また手の平に視線を落とす。 花びらは茶色く枯れてはいるが、桜に間違いない。 寮の前の桜だろうか。 良い知らせ、か。 待つことすら諦めていた手紙が届いたのだから、良い知らせには違いない。 三上はそう思いながら、手紙の差出人にも続く青空を仰いだ。 暫くして感傷的になっている自分気づき、自嘲の笑みを漏らす。 花びらに一瞥を落とすと、決心したように手の平をゆっくり傾けた。 桜は、ちょうど吹いた風に乗り、飛び去っていく。 それを暫く眺めたあと、残った封筒をゴミ箱に捨てる為、三上は立ち上がった。 そんな風に、過去を何も残さない生き方を、アイツは俺に望んでいる。 そんな気がした。 end.