c r a s h l a n d i n g 海の匂いがする。 笠井は東京生まれの東京育ちだが、父方の実家が地方にあるので、 こんな綺麗な海の匂いを知っていた。 東京湾とは全然違う。 笠井が還るのはいつも、この海の匂いだ。 高窓から空が見えた。 信じられないほど青い。 ずっと見ていると吸い込まれそうだった。 高窓がある壁が、真っ白なのが悪い。 白と青のコントラストは、嫌が応にも笠井のイメージする天国を思い出させる。 「笠井」 頭上から声がした。 けれども暫くは振り返らず、じっと空を見る。 「笠井」 二度目で振り返る。 三上は、螺旋階段の上にいた。 かなり天辺に近い所にいたので、目の悪い三上には笠井の顔はきっと霞んでいるだろう。 「何か見つかったんですか?」 吹き抜けの塔は、普通の大きさの声でもちゃんと三上の耳に声を届けた様だ。 「いや、別に」 「用がないなら呼ばないで下さい」 「昇って来いよ」 三上は今思いついたに違いない提案を言うと、さっさと顔を引っ込めた。 笠井はもう一度、高窓を見上げる。 自分が死ぬ瞬間に見るのはこんな光景がいい。そう思った。 螺旋階段は潮風ですっかり錆びついていた。 真っ白だったであろう手摺りは、ペンキが剥がれ落ち、茶色く変色している。 笠井は歩を進める。 鉄製の段にスニーカーが打ち付けられて、鈍い音がした。 この灯台が使われなくなってどのくらい経つのだろうか。 そもそも、灯台というのはこんなにあっさり打ち棄てられて良いものなのだろうか。 船の道標ではなかったのか。 最も、飛行機など空輸が発達した今、灯台の需要は減っているのかも知れない。 それとも船の機器が進歩した為だろうか。 どちらにしろ、灯台など疾うに過去の遺物なのだ。 ここで空と海に晒されながら、朽ちるばかりなのだろう。 徐々に高窓に近づいていく。 笠井は今、天国の階段を昇っている。 天辺に着くと、そこには白いドアがぽつんとあった。 笠井は一瞬開けるのを躊躇った。 それは、ドアを開けても居るのは天使ではなく三上だと知っているからだ。 酔っている、このシチュエーションに。 三上を見て、現実に引き戻されるのを恐れている。 笠井は思わず自嘲する。 確かに、死をこんなに身近に感じるなんて、日常では余りない。 笠井はドアに手を掛けた。 海風の圧力がかかって、重い。 潮の匂い。 太陽の光。 空と海。 青。 目の前に開けた景色に絶句する。 柵に寄りかかっていた三上と目があった。 三上はTシャツの上にシャツを羽織っていたので、ばたばたとそれがはためいている。 三上は何も言わず、また視線を海へと戻す。いや、空だったかもしれない。 笠井が何気なく後ろを見ると、灯台の巨大な電灯が頭上にそびえていた。 何人の人が、これに導かれ、この途方もない海を渡ってきたのだろう。 無言でそれから目を逸らし、笠井は柵を掴んだ。 足下の鉄板はしっかりとしているが、柵は頼りなかった。 高さも笠井の胸の辺りまでしかない。 「なんか、スゲェな」 横の三上が呟いた。 「無性に、死にたくなる」 それには全くの同感だったので、笠井は黙っていた。 「一緒に飛び降りるか」 三上を横目で見る。 三上はこちらを見ていなかった。 その視線は青に捕らわれている。 「俺が同意したら、どうします」 笠井は訊ねる。 三上がこちらを向く。 その時笠井は、俺が死を求める理由の一因は、この男にもある、と悟った。 三上は思案顔で、それでも口元に薄く笑みをたたえて、そうだなと言った。 「お前にキスして、手に手を取って飛び降りる」 「拒否したら、」 青が眩しくて、くらむ。 一瞬の眩暈に誘われて、そのまま地面に落下してしまいそうだ。 三上はもう一度そうだな、と言った。 「お前を殺して、死体抱えて飛び降りるか」 ああ、狂ってる。 もう狂ってるのだ。 俺も男も。 この青に会う前から既に。 「で、答えは」 三上はニヒルに笑いながら、笠井の言葉を促した。 笠井は雲一つない空を見上げる。 海と空の間に境界線はない。 二つの青は混ざり合い、一つになり、絶望を表している様にも、限りない幸福を表している様にも見えた。 笠井は潮風で肺を満たし、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 end.