青い青い空。
俺達はそれに吸い込まれていく白いボールに惹かれてこの場所に立ってきた。
なのにこの仕打ちは、余りにも非道いじゃないか、カミサマ。
「ありがとうございましたっっ!!!」
太陽も南天に昇った頃、新田東中野球部は練習を終えた。
いつも休日は一日の練習が、半日になった理由があったはずだが、生憎覚えていなかった。
隣に立って教えてくれる友人も今は不在だ。
照りつける太陽に憎しみを覚えて、挑むように睨みつけると、その拍子にこめかみを汗が伝った。
グラウンド整備を終えた一年が、着替え終わった二年とすれ違うように部室に入る頃、
やっと野々村は帰ってきた。
薄茶に汚れた俺のユニフォームと対照的な真っ白なシャツが青空の下で眩しい。
「よぉ」
数歩歩み寄って声を掛けると、野々村は少し歯を見せて笑った。
「練習終わったんじゃな」
「ああ、ついさっき」
その時、野々村の半袖から覗いた、シャツと同じくらい白い包帯に気付いた。
視線がそれから離せなくなる。
野々村はそんなことなど勿論お見通しなのだ。いつだって。
「やっぱ、おえんかった」
心の奥底に野々村の声は沈殿していく。
「ごめん、高槻」
それが重しになってしまったかのように、声が出てこなかった。
なぁ、カミサマ。
誰かの肩を壊したいなら、もっと他のやつでも良いだろう。
陸上部のアイツとか、高校中退したあの先輩とか、隣の席の女子でも良い。
なんでコイツだったんだ。
どうしてコイツからわざわざ肩を奪うんだ。
「お前、どうするんじゃ」
やっと絞り出した言葉は、本当に聞きたいこととは違う気がした。
「辞める」
対して野々村の答えは、きっぱりとしていて迷いの影などどこにも見つけられない。
「このまま続けてても、みんなの足引っ張るだけじゃろうし、俺も・・・辛い」
その気持ちは解る。想像に難くない。
当たり前のように野球をしている、俺も含めての部員の姿を間近で見つめているのは勇気が要るだろう。
でも、俺は。
「お前は、新しいキャッチャーを見つけろよ」
その言葉に体が固まった。
視線を上げて、野々村の顔を正面から見た。
「今、オトムライにも話してきたんじゃ。
俺がキャッチャー出来んようになってしまったことで、お前に迷惑かけたくないしな。
オトムライも分かってくれた。お前はこれからも新田東の1年ピッチャーじゃ」
息が詰まった。
こんな時まで他人の心配をしているこいつの、底抜けの優しさが、俺の喉を塞いだ。
耐えきれなくなって、また下を向いた。
いっそ、泣いてしまいたいと思った。
コイツの為に声を枯らして泣いてやりたかった。
なのにカミサマ。あなたはそれすら俺に許してくれないのか。
渦巻く思いを振り切るように、勢いよく顔を上げた。
驚いたような野々村の顔。
俺は野々村の包帯が巻かれているのとは反対の腕を掴んだ。
ぐいと引っ張る。
「高槻?」
腕を掴んだまま、踵を返す。
一直線に歩く。
ちゃんと伝えたかった、野々村に。
その一点に着くと、俺は野々村の腕を放した。
野々村の顔は呆然としていたが、何かを悟ったのか唇を引き結んで何も言わなかった。
俺は野々村を置き去りにして、いつもの距離を歩く。
足が覚えている距離。
くるりと振り返れば、そこにはまだ野々村が突っ立って所在なさ気にしていた。
真っ白なシャツは、グラウンドには不釣り合いで、野々村の周りだけ空気が違う。
それでもそこがソイツの居場所に違いなかった。
マウンドに立って、俺は野々村を見下ろした。
「座れよ、野々村」
そう言うと野々村はビクリと肩を震わせた。
俺は自分の手に握られたボールを想像する。
感触とか、重さ。全てリアルに。本物みたいに。
野々村を真正面から見据えて、俺は投球フォームに入った。
肩を回し、腕を振り切る。
指から離れていくボールが見える。
ボールはそのまま野々村の横をすり抜けて、後ろのフェンスへとぶつかった。
「・・・なにやっとんじゃ」
なぁ、分かってくれよ。
「なにやっとんじゃ、キャッチャー。早く返球しんか」
なぁ、野々村。
「・・次行くで」
内角低め、と指示を出した。
野々村の薄茶の目に揺れるボールの白い影だって俺には見える。
野々村にだって、見えているはずだった。
キャッチの体勢ではない野々村にボールを投げた。
俺達だけに見えるボール。
何度も何度も野々村に向かって投げた。
捕って欲しかった。
俺は野球が好きなお前に憧れてたんだ。
俺はお前の真っ直ぐなボールに惹かれて、野球をしていたんだ。
なぁ。
一方通行のキャッチボールを何度続けただろう。
肩は既に温まっていた。
ボールを握る。
野々村を見た。
正真正銘のストライクゾーンを、投げてみようと思った。
「座ってくれ」
懇願するような俺の口調に心を動かされたのか、
のろのろとまだ状況を把握していない様子で野々村は座った。
俺はお前に向かって投げるボールが好きだった。
深く息を吸う。
渾身の力を込めて、俺はボールを放った。
青い空に、白いボール、俺達が好きな風景。
パシン
野々村のミットにボールが吸い込まれる音だった。
懐かしい、音。
俺よりも野々村の方が驚いて、ミットの形に広げられた自分の手の平を見ていた。
色素の薄い目がゆっくりと上がる。
久しぶりに野々村に見られた気がした。
俺はマウンドから見る、お前の目が好きだったよ。
「・・・ナイス、キャッチ」
絞り出した声は掠れていて、力のないものだった。
途端、体全部から力が抜ける。
膝に手をついて、俯いた。
汗が顎を伝ってポタリと茶色のグラウンドに染みをつくる。
涙のようだった。
なぁ、俺はお前の為に泣くことは出来ないけれど、ボールを投げられる。
お前の分だって、いくらでも。
「辞めんなよ」
逃げないで欲しかった。
俺の憧れるお前が、簡単に野球から離れてしまったら、俺はどうすればいい?
「俺のキャッチャーは、お前しかいないんじゃ」
お前が野球と必死で向き合うなら、俺だって負けちゃいない。
死にものぐるいで、ボールを投げ続ける。
例えその先にいるのが、お前じゃなくても。
「辞めるな、野々村」
息を整えて、上げた視線は、野々村の呆れたような、泣きそうな笑顔を捉えた。
なぁ、俺が流す汗が、涙のように地面に染みこんで
お前の笑顔へと変わるなら、
俺は何度だって、あの空にボールを投げてやる。
お前のために泣くことは出来ないけれど、俺はお前のためにこの場所へ立つよ。
end.
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