海月の眼  ゆらりゆらり、形を変えて白い煙が立ち上っていくのを見ながら、 私は真冬の寒さに首を竦めた。  私の古い知人であり英都大学社会学部教授でもある男は 見えもしない大阪の星を仰いでいた。  思考はその煙に乗って何処かへ流れているようだ。  目の前を歩く男がどれほどの闇を抱えているのか、私は知らない。  話してくれるのを待とう、と決めているから尋ねたこともない。  いつか話してくれると、途方もない願いのような信頼だと自分でも少し呆れている。  「火村、」  と背中に向けて声をかける。  男は、ん?と答えはしたものの後ろを振り向こうともしない。  今、自分と彼の間には深い闇が横たわっていた。  嫌な事件だった、と唇を噛む。  火村があれほど狼狽するのを見たのはどれくらいぶりだろうか。  犯人の――彼女の頭が良すぎただけなのだ。  火村が気づいたときにはすでに、死の闇が彼女の背後にあった。  ごめんなさい、とたった一言の呟きを私達の耳に残して若い命は消えた。  火村は今、なにを考えているのだろうか。  私には彼が罪悪感、とも呼べるものを持っているような気がしてならないのだが。  思いきってありふれた言葉を口にした。  「火村、お前のせいやないからな」  男は短くなった煙草をアスファルトに落とし革靴で踏みしめる。  「・・・・・・そうか」  ぽつりと漏れた言葉は私への返答だったのだろうか。  この男は非道くあやふやだ。  他人に干渉されることを嫌う素振りを見せながら  仮面の下ではいつも泣き叫んで助けを呼んでいるように見える。  ・・・古いつきあいだが未だに掴めない。  ふわりふわり波に乗っていつか自分の目の前から消えてしまうんじゃないか、  実際、そんな悪夢を何度か見た。  突如の不安に駆られ、彼の隣へと駆け寄る。  無雑作にポッケトへと突っ込まれた腕に自分のを絡めて、笑う。  「腹減ったなぁセンセ、なんかおごってや」  「安月給の大学教授に頼るなよ、売れっ子作家」  いつもの皮肉めいた笑顔を浮かべながら新しい煙草へと火がつけられた。  「有栖川先生、公道で男と腕なんか組んでるのはスキャンダルになるんでは?」  「そうなったら火村教授への女学生評価はガタ落ちや。ちょうどええやんか」  友人は鼻で笑うと、私の髪をぐちゃぐちゃに掻き回した。  ひとまず彼が今ここにいることを確かめて安心する。  火村も同じことを思っているのなら、  そんな海月が見るような夢を思った。  end.