030-戦 花は、いかがですか  二つの円い目に見上げられた。  まだあどけない少女の澄んだ目。  細い腕には花籠。春らしい色彩が溢れている。  花は、いかがですか  少女がか細い声でもう一度言った。  綺麗な身なりではなかった。  どちらかというと、生活の苦しさが一目で分かるような。  膝を曲げ、少女と視線を等しくする。  籠ごと、売ってくれるかい    少女は言葉を解しかねたのか、眉間に皺を寄せた。  その表情があまりに可愛らしかったので、思わず笑って同じ言葉を繰り返した。  すると少女はぱっと、辺りの空気さえも一変してしまう様な、明るい笑顔を浮かべた。  そして指折り代金を数える。  その光景が微笑ましくて、また笑ってしまった。  暫く見つめていたが、少女の計算が終わるより先に、本当よりも多い紙幣を差し出す。  少女は本当に嬉しそうに笑って、礼を言う。  そして、その花はどうするのかと問うてくる。  返答に窮した。  一瞬考えて、大切な人にあげるのだと、尤もらしいことを思いついた。    喜んでくれるといいね  少女が言った。  それほど神聖な言葉を、久しぶりに聞いた。  「お待たせ致しました」  規則正しい靴音を石畳に響かせながら、彼女がやってきた。  こちらが何かを言う前に、鋭い視線は鮮やかな花を捉え、滑らかな眉間の肌に皺が寄る。  「なんですか、これは」  「花だ」  「分かります」  「なら、訊くな」  彼女の言いたいことは分かった。  これでも勤務中なのだ。  30分後には、作戦開始予定の任務も控えている。    「邪魔になります」  「君にあげようと思って」  それで少し眉間の皺が緩和するかと期待したが、彼女の溜息を誘導しただけだった。  「まぁ、そろそろ行こうじゃないか。歩いている間に何か解決策でも思いつくかもしれない。   情報は集まったんだろう?」    彼女は溜息を堪え、はいと明確に言った。  情報収集に行っている間にこんな厄介事を持ち込まれるのだったら、  引き摺ってでも一緒に連れて行くべきだったと口調が語っている。  路に下ろしてあった彼女の分の荷物も持ち上げる。  代わりに、花籠を押しつけた。    青い空をゆっくりと雲が流れている。  頬に触れる風は暖かくて、 これでかっちりとした軍服を着込んでいなければ、 今すぐにでも休日モードになれるのにと思った。  通りに人気がなかったのも、原因のひとつかもしれない。  見知らぬ街に迷い込んだ様な、不思議な高揚感があった。  「中尉」  彼女は後ろを、一歩の距離を保ってついてきていた。  「なんでしょう」  先程の少女との遣り取りを、思い出せるだけ喋った。  機械的に口を動かしながら、あれは偽善だったのだろうかと自問する。  少女を可哀想だと思った。  でも、それは此方の勝手な思い込みだ。  彼女はそう思われることを望んでいた?  優しい自分に浸って、ただの自己満足だったのではないだろうか。  では本当の優しさとは。  彼女は相槌一つうたなかったので、聞いているのかいないのかこちらからは判断がつかなかった。  そして、話すことも尽きたのだが、彼女からは依然としてリアクションがなかった。  立ち止まることも出来ずに、奇妙な雰囲気のまま、黙々と歩き続けた。  「大佐」  すると、急に彼女が呼びかけてきた。  振り返ると彼女はいつの間にか数歩後ろにいた。  「どうした」  そう声をかけてみたが、彼女は何も答えずに家と家の間の小径に入っていってしまった。  相変わらず規則正しい歩調だった。  半ば慌てて後を追ったが、なんてことはなく彼女はすぐそこで立ち止まっていた。  そこは森に続く入り口の様だった。  彼女の前には蔦が絡まっているが、大きな墓碑があった。  彼女はこちらを振り返ると    「見つかりましたね」  と言った。  合点がいって、冷たい石に近寄り、蔦を引きちぎる。  刻まれた無数の名前。  こんな記号ではなく、実際に存在し、誰かに愛されていたであろう人々。  彼女は跪いて、花を並べ始める。  色とりどりの花が、暗い色彩を塗り替えていく。  「私はこれからも、何人もの命を奪っていくだろう」  不意にそんな言葉が漏れた。  彼女は視線を花に落としたまま、  「では、私はその度に花を捧げましょう」  と言った。  それほど優しい言葉を、久しぶりに聞いた気がした。  そしていつか平和という名の花を君の前に手向けられたら。   end.