024-秋霖 「・・・風邪引きまさァ」 沖田は、地面に腰を下ろし後ろの土壁に背中を預けた土方を見下ろす。 顔にもろにかかる土方の煙草の紫煙が少し目を刺激した。 「ああ」 沖田の背後では雨がひっきりなしに降っている。 張り出した屋根の下にいる二人は濡れることはなかったが、 それでも秋口の冷たい空気が容赦なく体を舐め尽くした。 「斬りますぜィ」 土方の答えを聞く前に、淀みのない動きで沖田は腰の刀を抜刀した。 磨き抜かれた刀身は、雨の日特有の鈍い光を受けて輝く。 俯いていた土方は、顎を上げてそれを見る。 そして、 笑った。 彼の動作は沖田の中の怒りをこれまでにない程呼び覚ませた。 無防備な首筋に銀の刃を突きつける。 その差はまさに紙一重と言ったところか。 それでも土方は顔色を変えなかった。 「本当に殺しますぜィ、土方さん」 無表情を装ったつもりだったが語尾が少し震えた。 寒さのせいに出来る程、冷え込んではいない。 「殺しても、いいぜ?」 土方はニヤリと笑う。 沖田は気取られぬ程度の自然さで目蓋を閉じた。 そして、すっと刀を動かす。 土方の首に赤い線が出来た。 そこから赤い血の粒が浮き上がり、 数粒襟巻きへと流れて、染みをつくった。 そして、沖田は引いた刀をそのまま腰の鞘へと収めた。 「どうして殺さねェ」 「・・・ここで斬ったら、返り血を浴びまさァ。 後ろに飛び退いても、雨に濡れますんでねィ」 その答えを聞いた土方はせせら笑った。 「お前なら、血を一滴も吹き出させることなく 絶命させる方法も知ってんじゃねぇのか」 「それに、俺が土方さんを斬ったら近藤さんが俺を殺しまさァ」 ぴくり、と土方の肩が動き、不自然な沈黙が流れる。 屋根からぱたりと水滴が落ちた。 「あの人は、そういう人ですぜィ」 「それで、お前を殺したあと、自分も死ぬ人だ」 沖田は頷いた。 「俺は、局長は殺したくありませんでさァ」 そしてふと思い出したようにアンタは殺せますけどねィ、と付け加えた。 土方は興味なさそうに頭を掻く。短くなった煙草を地面へと吐き出した。 そして唐突に立ち上がり、雨に濡れるのも厭わず屋根の外に出た。 「・・・クソだな」 土方が呟く声が聞こえた。 吐き捨てられた煙草はまだじりじりと燃えている。 「俺にとってはなァ、総吾。 この国も人も幕府も反攘夷も全部クソみてぇなもんだ」 彼は灰色の空を仰ぐ。 濡れた髪が肌に貼りつくのにも構わず、 真撰組隊士の証である隊服が雨を吸うことも気に掛けず。 彼は空を仰ぐ。 それはきっと昔から変わらない。 しかし彼の目に映る未来は、彼しか知らない。 「俺は、ただ・・・・・・・・」 土方の頬を流れる雨粒が、まるで涙のようだった。 けれどそれはあくまでも錯覚で、 この男は人前で泣いたことなど一度もないのだろう。 可哀想な男だと、やはり人前で泣いた覚えのない沖田は無感動に思った。 「土方さん、風邪ひきますぜィ」 雨はその日から三日三晩降り続いた。 二日目の夜、座敷の窓辺に座しながら、 よく降る雨だと独り言のように沖田がこぼすと、 聞きとがめた山崎が律儀に説明をした。 「今は丁度秋雨の時期ですから。 台風も接近してるんで、しばらく大雨ですよ」 台風が過ぎれば見事な秋晴れになるでしょう、 と天気予報士の様な口調で山崎はそう言い、 沖田の反応が何もないことを、特に気にした様子もなく 食べ終わった膳を重ねて席を辞した。 襖が閉まるタン、という小気味いい音が響く。 沖田は尚も障子の外を見続ける。 真向かいの部屋の閉め切られた障子に二つ、見慣れた影が映っていた。 酒を酌み交わしているらしい。 一つの影が、肩を揺らして笑っているのをぼんやりと見る。 昨日の男の背中とダブらせてみた。 ふと、後悔が襲う。 あの男の頬に流れた雨を掬い取っておけばよかった。 一瞬後、そんな自分を自覚した。 雨を透かして見る今日の男は笑っている。 秋が終わっても、降り止まぬ雨はあるものだと沖田はため息をつき、 そして、障子を閉め、視界から影を抹殺した。 終