014-薄野原 激しい湿った風が吹いていた。呼応するように肌が粟立つ。 見上げた空は薄明るい灰色。地平線まで広がるすすき、すすき。 何処かの風景に似ていると思えば、 川こそ見えないし、こんなに広大ではなかったが故郷の河原と似ていた。 空を見上げてぼんやりしていると、足下から冷たい風が吹き上げる。 ざわり、といっせいにすすきが唸った気がした。 何気なく正面に戻した視線は一カ所に集中して離れられなくなる。 背筋を冷たい風が一気に吹き抜ける感覚。すすきがこすれて呟き合う音が耳の奥で響く。 戦慄、とはこういう事をいうのだろうか。 その気配には覚えがあった。 今までどうして気づかなかったのか、 それとも今空気中に散らばっていたものが固まって形成されたばかりなのか、 目の前にあの日の少女が立っていた。 顔は、白い狐の面に覆われていて、見えない。 少女は無言で刀を構えた。 俺は、迷いながらそれを見る。 少女はあの日から成長していない。だが俺は、変わってしまった。 いま隣に並んだら、少女の背丈は俺の腰を少し越えた辺りだろう。 刀を向けていいものだろうか。 「抜け」 ぶつかるものなど何もないのにぶっきらぼうな少女の声は辺りに反響した。 「剣舞だ」 そう言われて、白鞘に手をかける。 少女と剣舞をしたのは一度きりだ。あの頃も、秋だった。 道場の開け放した扉から真っ赤に色づいた紅葉が風にのって入ってくるような。 あれから何年経った。俺の腕はお前に胸を張って見せられるぐらいに上達しただろうか。 記憶が曖昧になる程の果てしない時間、お前は何をしていたんだ? このうすら寂しい場所で俺が来るのを一人で待っていたのか? 少女が軽く頭を下げたのにあわせて会釈する。 彼女の黒髪が風になびいた。 数歩の距離を二人いっせいに踏み出す。 高い澄んだ音をたてて剣が合わさった。 まるで持ち主の代わりに再会を喜ぶような、声。 二本の和道一文字が合わせ鏡のように舞っていた。 流れるような少女の動き。それにつられるように自分の頭の中も無だった。 刀を抜く前まで溢れていた疑問や疑いは何処かに身を潜めてしまった。 いまはただ、赤い紅葉の中で少年と少女が舞っている映像が頭の中を支配する。 空気をすべるような二本の刀。 紅葉と共に風に舞う少女の黒髪。 秋の乾いた風が二人の間を通りすぎてゆく。 あの時は、二人の呼吸が合わなくて大変だった。身長の差なんて今と比べれば僅かだったのに。 幼かったのだ、二人とも。 いや、俺だけか?だって目の前にいるくいなはあの頃と何も変わっていない。 最後に一際たかく鳴いて、刀は再び白鞘に収まった。 くいなは今、どんな顔をしているのだろうか。 昔と同じように敵意のこもった目で俺をねめつけているのだろうか。 それの方が気楽な気はするけど。 すると、剣舞が終わるのを待っていたかのように強い風が吹き荒れる。 すすきがざわざわと不安げに揺れ動いた。 少女は身動き一つせず、風の中に佇んでいた。 「くいな」 声が届いたのか、届かなかったのか、少女は俺に背を向ける。 俺が一歩を踏み出す前に走り始めた。 「くいな」 呼んでも振り返ることはなかった。 慌てて後を追おうとしたが、足が動かない。 風が強く強く吹き荒れる。 目を開けていることさえままならなかった。 揺れるすすき、すすき、すすき。 まるで少女の姿を隠そうとするように。 「くいな!!」 唇の隙間から入る乾いた空気で口の中がからからに乾いた。 すすきに霞みながら少女の背が遠ざかっていく。 揺れるすすきが陽炎のように空気をゆがめて、世界が傾いていくような気がした。 「くいな!!」 薄く開けた目に少女の顔から離れた狐の面が風にのって舞い上がっていくのが見えたのが最後、 俺は耐えきれなくなって、目を閉じてしまった。 小さな背が見えなくなった頃、風は止み、あとに残ったすすきだけが乾いた音をたてながら囁くように揺れていた。 ぼんやりと立ったままでいると、自分の足下にあの狐の面が落ちているのに気づいた。 拾い上げながら思い出す。 今日が自分の十五の誕生日だということに。 「・・・・・・・」 そっと狐の頬をなでると、端から灰のようにぼろぼろと崩れ落ち両手の間からすり抜けて風に運ばれていく。 彼女は何も残さなかった。この白鞘以外には。 それで、充分だ。 end.