012-待宵の月 月光の真ん中に、男が立っていた。 身に纏う空気は“静“そのもの。 まるで月の使者だ。 使者だとしたら、なんて怪しい使者だろう。 「声、かけたらええのに」 そう言ったのはギンだった。 乱菊が隊舎と隊舎を結ぶ回廊から彼を見つめ続けて、 かれこれ三分経った頃だった。 「我慢比べのつもり?」 風が切れる音がした。 瞬間、ギンは乱菊の後ろにいた。 目で追うのがやっとだった自分に、乱菊は舌打ちをする。 「何してたの、こんな所で」 こんな所、とは十番隊隊舎のことだ。 「月見」 さも当然とギンは答える。 その返答は乱菊の予想範囲内だった。 「自分とこの隊舎でやんなさいよ」 「乱菊に会えるかなぁ思て」 ギンは乱菊の波打つ髪を一房持ち上げる。 「会えた」 その声に含まれる喜びが、真実なのか乱菊には分からなかった。 「・・・じゃあもう帰って」 乱菊は回廊から歩を進め、庭に出る。 するりと、ギンの手から髪が逃れた。 月を背にしてギンに向き直る。 柔らかい色の髪は、月光に縁が透けている。 唇を引き結んだ乱菊は、美しかった。 「嫌われたもんやなぁ」 ギンは、笑っていた。 いつもと同じように。 昔と同じように。 ギンが笑っていないときの顔は、乱菊でさえも数えるほどしか見たことがない。 特に、この瀞霊廷に入ってからは、会う機会が滅多にないせいかもしれないが、 乱菊はギンの笑顔しか見ていなかった。 藍染、浮竹両隊長のそれとは違う、威圧感のある笑顔。 その仮面の下に隠れた感情に、乱菊はいつも戦慄を覚える。 「乱菊、今日の月はな、十四夜や」 意外な言葉に、乱菊の眉間に皺が寄る。 「君と会うた日の月も、十四夜やった」 乱菊は、涙が迫り上がってくるのを堪えて、 目を閉じ、下を向いた。 「アンタはいつもそう・・・! かき乱すだけかき乱しといて、最後には私の側から消えるの!」 爪が掌に食い込むのにも構わず、拳を握る。 そうして自分を保たなければ、今にも子供のように泣き出してしまいそうだった。 風の音がした。 冷たい、けれど人の手に違いない感触が、乱菊の頭に乗る。 そして、俯いた額に唇が触れた。 乱菊は目を見開く。 「ギン・・・」 顔を上げた時には、もうそこに男の姿はなかった。 振り返ると、満月より一日欠けた白い月。 あの日、倒れていた乱菊に、ギンが声をかけてきた日。 乱菊は初めて月が美しいものだと知った。 それまでは夜を照らす灯りぐらいにしか思っていなかった。 歪な月は、もしかしたら未来を、これからの二人を予言していたのかもしれない。 「忘れるわけ、ないじゃない」 あの日、初めて色を持った世界を、 その世界を鮮やかに照らし出した欠けた月を、 忘れるわけがないのに。 end.