004-東風  貴方は本当に、こっちが可笑しくて笑ってしまうくらい真面目な人で  いつでも真剣な目をして僕の幸せを願うものだから、  僕はとうとう最後の日まで幸せの在処を言わなかった。  言えなかった。  「具合はどうだ?」  といつもと同じように聞いてくる男に苦笑する。  人間の中でも一際背の高い男がホビット用の部屋に入ると、見てる方からも異様で、勿論本人としても居づらい様で。  身の置き場所に困ってうろうろ歩き回る様子はとても一国の王には見えなかった。  「お陰様で。もうすっかりいいです」  「そうか」  アラゴルンは彼特有の人懐っこい優しい笑みを浮かべた。  「実は君に知らせがあるんだ。私としてはとても嬉しい事なんだが、君は喜んでくれるかどうか」  「なんですか?随分と勿体ぶった言い方ですね」  「調子もいい様だし、退院してもいい頃だと思う。よかったら君の為の部屋を城に用意させてほしい」  大きな瞳を一層大きくしてフロドは聞き返す。  「本当?」  「喜んでくれたか?」  「ええ、それは、勿論」  「よかった。それで今日は外の天気もいいし散歩にでも行かないか?」  ゴンドールに来てから一度も寮病院の外に出た事がないフロドは少し驚いて何も言えなかった。  彼は付け足しの様に、けれどこれが一番重要だと言わんばかりに、続けた。  「二人で」  それはそれは、一国の王とは思えないほど悪戯好きな笑顔で。 ***  王がいない。  そんな知らせを受けてファラミアはまず王の友人として城内に部屋を構えているレゴラスを訪ねた。  報告を聞いた金髪のエルフは苦々しそうに、放っておきなさい、と美麗な顔を歪めて言った。  「お言葉ですが、」  「ああ、いい、いい。この国が落ち着いていない事など住んでいれば分かる。   ただあの男の身辺もまだごたごたしている様でね」  「ごたごた?」  「君はまだ分かっていない様だけど、僕は常々からあの男は王に似合わないと思っているよ。  自由すぎてね。縛り付けておく重りには一国でも軽すぎる」  「はぁ」  困り果てているファラミアにレゴラスは苦笑して無言で窓の外を意味ありげに眺めた。  何が見えるのかと気になったファラミアは背筋を伸ばしてのぞき込む。  「……」  絶句。  どこの国に職務を放り出し、退院許可がおりたばかりの病人を連れ出す王がいるのか。  いるのは、このゴンドールだけだろう。  「レゴラス殿、」  「駄目駄目。何を言っても無駄な事など旅の仲間なら全員分かりきっているのだから。君も学習するといい」  「しかし、私は王の婚約者は裂け谷のアルウェン姫だと伺っておりましたが」  距離がかなりあるのではっきりとは見えないが、二人を包む空気は、なんというか友人のそれを超越したもので。  確かに絵になる光景ではあるが。  「…君は、あの二人を見てどう思う?」  「は?」  「君の言う通りあの二人は友人としての愛を超えている。その事実を知って君はどう思った?」  返答が見つからずに視線を再び彼らに戻す。さっきよりも遠くなって大小の影にしか見えなかったが楽しそうだと思った。  「…幸せそうです」  レゴラスは興味深そうな視線でファラミアを見つめた。  「でもそれは、永遠じゃないよ。そして、誰かを悲しませる」  「それはそうですが…。なんだかとても神聖な光景に見えます。私の考えを遙かに凌駕している」  「そう」  レゴラスは笑みをしまい込み、窓から吹き付ける風が彼の長い髪を弄んでもされるままにしていた。  「なにか、まずい事を申しましたでしょうか?」  「ううん。ただ…」  年若く見える男は、外見とは裏腹の長い英知を思わせる瞳で二人が消え去った方向を眺めた。  「僕はあの二人に幸せになって欲しかったのかもしれないなって」  そう言って、悲しそうに睫毛をふせた。 ***  旅の途中も二人でよく森へと抜け出しましたね、  そう過去形で言う彼の顔色は記憶よりも暗い色で、ちぎれた右手の中指が自分の罪をこれ以上ないほど明確に表していた。  守れなかったのだ、と。  「うわぁ」  静かに感嘆の声をあげる小さい人の目線に自分のそれをあわせる。これだけは変わらない澄んだ青い瞳が間近だった。  「気に入ってくれたか?」  「ええ、すごい」  高地から見下ろす白い都が柔らかい陽ざしを受けて輝くのを二人は長いこと何も言わないで見とれていた。  「…貴方の国なんだね」  そうぽつりとフロドが漏らすのをアラゴルンはしかと聞きとめて、苦笑した。  「誰の物でもないが、君が守りきった都だよ」  「またそういうことを言う。よしてください」  恥ずかしいから、と小声で付け加えられた言葉の通り形良い眉が八の字に曲がる。  「それは失礼をした!英雄に向かって私はなんてことを!」  「アラゴルン!!」  頬に朱を散らした彼がそう叫んだかと思ったら、次の瞬間、体を二つに折って咳き込んでいた。  「フロド!」  慌てて小さな背中を撫でる。  ああ、彼は大きな笑い声をあげる事さえままならないのだ。  どうして、彼が。  咳はそれから4、5回苦しそうに吐き出された。目尻に涙をためたフロドの瞳が男を仰ぐ。  もう大丈夫、と微かに吐く息の合間で紡いだ。  「すまない。悪のりをしすぎた。木陰に行こう」  無言でこくりと頷く小さな頭を認めて、彼の体を抱き上げた。  「……」  あきらかに昔と比べて軽い。  それと反比例して自分の罪が重かった。  神よ、どうしたら私の罪を償う事が出来るのですか?  どうしたら彼をこの苦しみから救えるのですか? ***  僕の行動一つで、貴方を心配させる事などわかっていたのに。  自分のコントロールが出来なくなったのはいつからだっけ?  きっと、貴方を愛したときから。  「大丈夫か?」  「ええ……ごめんなさい」  少し照れた様な笑みを浮かべてフロドは眉間の皺を深くしたままの男を見た。  「すまない、連れ出すべきじゃなかった。本当にすまない」  「僕は貴方に感謝してもしても足りないくらい嬉しいのに、どうして謝るの。そういうのを野暮って言うんですよ」  すねた口調にアラゴルンは可哀想になるくらい困惑して、フロド、と。  何かというと僕の名前を呼んでくれるのが好きだったなぁ、とフロドはどこか他人のを見る様に過去を振り返った。  だった、と過去形で言える事に少し満足しながら。  「いい風」  鳶色の髪に風を受けて微笑みながら目を閉じる。  「なんだか暖かすぎて眠くなってきちゃったな。ねぇ、アラゴルン、肩を借りてもいい?」  その頼みに彼が非道く驚いた事ぐらい目を閉じていても分かって、返答を聞く前に大きな体に自分の体重を預けた。  彼と出会って恋をしていたときなんて、とてもこんな暢気な事をしている状況ではなくて、  いつでも僕は何かに追いかけられていたし、彼は周りに目をこらす事をどんな時だってやめなかった。  だから、今こうしている事が信じられないのと同時に、凄く凄く幸せだということ、  貴方は分かってくれるかな?  分かってもらっては、困るんだけど、ね。 ***  その青い瞳を閉じこめた目蓋にキスをしたいと思ったけれど、  そんなことをしたらこの魔法の様な時間が消えてしまうのではないかと不安になった。  おそるおそる彼の頭へと腕を伸ばして柔らかい髪を梳く。  彼はくすりと一つ笑って、その行為については何も触れなかった。  いつまでも、こうしていられたらと。  自分でも呆れるくらい傲慢な願いを胸中で思う。  レゴラスがいたらきっと、否、必ず、ゴンドールの民の為にここで僕が貴方を殺すべきだ  と言って本当に目にもとまらぬ速さで矢をつがえるだろう。  何度罪を重ねたら私は君を忘れられるのだろうか。  そんな日は来ない。  君が生きてる限り私は罪を増やして、君が死んでも生きていても、その罪の重さに苦しむ事ぐらい  とうに分かっている。  だからせめて、今この時間を少しでも永く。  永遠に、などとは言わないから、少しでも一秒でも、永く。 ***  貴方は本当に、こっちが可笑しくて笑ってしまうくらい真面目な人で  いつでも真剣な目をして僕の幸せを願うものだから、  もし僕が、貴方と一緒にいる時が一番幸せだなんて言おうものなら、絶対に僕たちが一番後悔する道を選んで  貴方に会って以来、自分のコントロールが出来なくなった僕も同じ道を選んでしまって。  誰も幸せになれない終焉など、考えるのもくだらない。  きっと僕は一番綺麗な終わり方を演じる事が出来るから。  きっと笑って貴方にさようならを言うからね。  そうしていつか、貴方の国から吹いてくる東風を西の果てで受けながら貴方の事を思い出せたら。  今この瞬間には適わないけれどそれもまた、幸せ。 end.